今宮純の死因の病名・病気や妻嫁の今宮雅子と子供は?学歴や経歴などプロフィールも



F1の中継解説で人気だった、今宮純さんの死去が判明しました。

ここでは今宮純さんの病気・病名などの死因と、奥様である今宮雅子さんとその子供について、学歴や経歴などのプロフィールも紹介。

今宮純の死因となった病気・病名はなに?

「FI解説といえば今宮純さん!」といっても過言ではないぐらい、F1ファンにとってはおなじみの存在でした。

そんな今宮純さんがこの度お亡くなりになっていたことが、長年友人だった森川オサムさんのブログで報告されました。

それでは、今宮純さんの死因はいったい何かということですが、これについて具体的な病気・病名などは明かされていません。

ただし以前からファンの間では「顔色が病的」とか、「老け方が尋常じゃない」ということはいわれていたようです。

上の画像を見れば一目瞭然だと思いますが、あきらかに激やせしているというか病的なやつれ方をしています。

今宮純さんの死因については分かり次第追記しますが、この痩せ方からしてもしかすると癌のような病気にかかっており、苦しい闘病生活の末に亡くなったのかもしれません。

今宮純さんが最後にツイッターに綴った言葉がこちらです。

謹んでご冥福をお祈りいたします。



今村淳の結婚相手・妻嫁の今宮雅子と子供について

今宮純さんの結婚相手である奥さんは、スポーツジャーナリストで翻訳家の今宮雅子さんです。

この嫁である今宮雅子さんが先述の森川オサムさんに、電話で報告してことで今回死去したことが明らかとなったようです。

妻として最後まで夫の横で看病したのでしょう。

そしてこの今宮雅子さんですが、旦那と同様にモータースポーツ界では有名な存在です。

表舞台で解説をしていた夫とは違って、翻訳・取材・執筆活動など裏方の仕事を主としています。

今宮純さんが冷静さの中にピリッと辛口な点があるのとは対照的に、妻の雅子さんはほとばしるような情熱でF1・モータースポーツへのアプローチをされているとこと。

また今宮雅子さんは英語やフランス語だけでなくの、ドイツ語・イタリア語・ポルトガル語など喋れるバイリンガル。

多言語を操れるという強みを生かして、アレジやプロリストなど一流選手とも厚い信頼関係を気付いているようですですね。

夫婦仲に関しても非常に良好で、現地のレストランやカフェ内にて、夫婦でずっとF1のことについて喋っている現場を、幾度となく目撃されていたようです。

そしてこの今宮夫妻に息子や娘がいるのかですが、これについての情報はありませんでした。

夫婦の年齢を考えれば子供がいても何らおかしくはないのですが、職業柄世界を転々とすることが多いので、もしかすると子供を作っていない可能性もありますね。



今宮純のプロフィールと出身高校・大学など学歴

今宮純さんの簡単なプロフィールは以下のような感じです・

・名前:今宮 純(いまみや じゅん)
・生年月日:1943年3月18日
・年齢:70歳没
・出身地:神奈川県小田原市
・職業:モータースポーツジャーナリスト

今宮純(いまみやじゅん)さんは1943年生まれで満70歳。

学歴に関して出身高校は偏差値67を誇る「平塚江南高等学校」で、毎年にわたって東京大学や一橋大学などの難関大学進学者を輩出している、神奈川屈指の名門高校です。

また出身者にはアナウンサーなど多数の有名人がいることも特徴です。

そして今宮純さんの出身大学は、「慶應義塾大学」の文学部ですね。

解説者やジャーナリストとしては、文句のつけどころがない学歴の持ち主ですね。

今宮純さんはこの慶応大学の学生だった頃から自動車研究会に在籍しており、アルバイトをしながら大学在学中にジャーナリスト活動を始めたことでも知られています。



今宮純のこれまでの簡単な経歴を紹介

今宮純さんが70歳亡くなるまでのこれまでの経歴ですが、先述したようにどこにも就職することなく大学生からジャーナリストとして活動。

大学卒業後は自動車関連雑誌に記事の執筆をするなど、フリーランスでコツコツとキャリアを形成していきます。

そして1973年に初めて欧州へと渡り、オランダGPを観戦する。

最初のころは執筆活動が主だったものの、その記事のクオリティが高く評価され、徐々にジャーナリストとしての仕事が増え始めたそうです。

1980年代に入ってからは、「全日本F2選手権」や「世界耐久選手権」のリポーターや解説を行うようになります。

そして1990年代に日本でF1のテレビ中継がスタートしてから、今宮純さんは全国的な存在となります。

若き日の安藤優子アナウンサーとの、息の合った名コンビは今も記憶に新しいですね。

その後、中島悟の引退によって日本でのF1人気が下火となってからも、フジテレビのFIグランプリにおいては、シーズン終了まですべての試合で解説者を務めました。